95連休を取った

ソフトウェアエンジニアが自主的な長期休暇を取った経過をまとめました。

95連休を取った状況

  • 1,2,3ヶ月間のまとまった無給休暇を取れるというコロナ禍で新設された制度を利用。特に承認などもなく申請したら通るような形だった。
  • 妻と同じ会社に勤めており、妻と同時に休暇を取った。休暇後は各々元のチームに戻り仕事に復帰できるという確信がある状態だった*1。実際、現在2人とも復帰した。
  • 休んだのは2021Q3(7,8,9月の3ヶ月間)
  • 蓄えは十二分にあり、ローンなどもなく、経済的心配はせずに休暇を過ごした。
  • 休暇の初頭に初回ワクチンの予約が取れていた。休暇40日目あたりが抗体の出来たであろうタイミングで、そこからは外出の範囲が広がる。

そもそもなぜ長期休暇を取ったのか

保育園に入園して以降20年以上、3ヶ月休む(=主となるやるべき事がない)という状況は一度もなかった*2。そんな体験を老後などではなく若い*3うちにしたら果たしてどうなるのか!?そういった期待が一番大きかったです。

仕事をするのがちょっと疲れてきたというのもあります。コロナでWFHが1年以上続いたせいか、少し頭が冴えないようなことが多く*4、GW程度かそれより長い休みは取りたかった。

また、これは理由というよりは給料を丸々失う事実を納得するための言い訳ですが、時間短縮となるドラム式洗濯機やロボット掃除機、料理宅配や家事代行サービスなど、すでにお金で時間を買うことは普通にやっています。その延長として、給料分払えば仕事の時間が全部浮くと考えたら、一回くらい給料ではなくて時間全振りにしてみても良いのでは。子供のいない共働きで一番お金の使い道がない今だから尚更のことです。

95連休中にやったこと

将棋ったー改修

まとまった時間が取れたためある程度大きな作業をこなすことが出来ました。

罪と罰を読了

感想はこちらに書きました。

bookmeter.com

1ヶ月に及ぶ東京→稚内自転車旅行

これについては別記事にします。取り急ぎ:

 

95連休中にやりそびれたこと

ロシアで生活する

旅行で数日過ごすといったのとは違う、1ヶ月単位で異文化の中で暮らす経験をしてみたいと思っていたのですが、95連休開始時点でのコロナ死者数が過去最悪になっていた*5ので却下。

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ロシアでのコロナ死者数推移

知人と会いまくる

これまでの人生で人とのつながりをあまり大切に出来ていなかったことを反省して、いろいろなこれまでつながってきた知人と久々に会いつつ近況を聞きまくるなどできたら面白いなと考えていましたが、コロナが7月末開幕のオリンピックで一盛り上がりしたこともありタイミングを掴めませんでした。

長期休暇での心境の変化

1) 時間を取って心置きなくマサラチャイ*6を淹れるなどの心の余裕を日常生活に(労働日であっても)持てるようになった

これまでは、時間を使うからにはなにか成果に結びつくものでなくてはという強迫観念が日々の行動を形作っていました。労働日であれば、料理はなるべく短時間で作るもの、コーヒーは全自動エスプレッソマシンでボタンひとつで淹れてパソコンの前で飲むもの。そういった効率だけを追求した形に生活スタイルが凝り固まっていました。

長期休暇においては、日々の行動が評価されるべき対象から外れたために、そういった強迫観念がなくなり、心からその瞬間を楽しめるようになったと思います。

2) 日々の小さい事柄からでも得られる幸せを重ねていくこともまた人生だと気づいた

あなただったら、3ヶ月お金の心配なく今の仕事から離れて復帰も保証されているとしたら、何をしますか。この質問、突き詰めると「あなたは、人生で何をしたいですか」という問いに通ずるものだと思います。

「あなたは、人生で何をしたいですか」「長期の自由時間で何をしますか」「1ヶ月で死ぬとしたら何をしますか」。これらの時間スケールの異なる質問を考えてみると面白いです。例えば、「1ヶ月で死ぬ」場合に、「今やっている仕事を続ける」と答える人は少ないと思います。死ぬ前に行きたかったところに旅行に出るとか、美味しいものを食べるとかでしょうか*7。でもそれって、もうやっていてもいいですよね。生まれてこの方「死ぬ前」なのですから。

時間軸を長く取るほど長期的なリターンが望める投資を行うのは自然なことですが、では短期的な投資をゼロ付近まで削って(例えばチャイを楽しむ時間を削って)までやるべきことなのかというのは明白ではありません。人生がキャリア成長に対して非常に長いとしたら、とっととキャリア全振りにした後良いキャリアの状態でチャイを楽しむべきかもしれません。でも、人生は莫大に長いわけでもない*8し、何が起こるかわからない。少しはチャイに短期投資してもいいのかもしれません。

振り返って見て幸せだったと思える日々を過ごしたい。そう気づいた長期休暇でした。

人生いつ生きてるの?今でしょ。

3) コミュニティや人とのつながりは大切

学校・大学や職場のどれかには属し続けてきた人生では、日常的に顔を合わせる人というのが自然と出てきて、それが友人関係などのつながりになったりするのですが、「休み」の状態ではそういった所属というものがありません。自ら連絡をとったりコミュニティ活動をしていかないと人とのつながりは逓減していきます。また、これまでの自分がそういう所属の下で単純接触した人とのつながりばかりに依存しており、所属が変わった途端にこれまで密に繋がっていた人との繋がりが途切れるということが続いてきたと気づきました。人のつながりというのは人生の幸福感を高めてもくれます。これらを大切にしていこうという決意を持ちました。

休暇から復帰しての仕事の模様

休暇の終わりの頃にはもっと休暇を続けたいという思いがあった*9のですが、いざ働き始めてみると、拘束時間は短くないが、まあ悪くないかなという感じです。自分の能力が活かせる場というのはなかなか良いものです。会社の外に出てみると、将棋ったーやKifu for JSという公開されたプロダクトはあるものの、ビジネスをしているわけでもないですし、ソフトウェアやプログラミング関連のことがそのへんに転がっているわけではありません。*10一方、会社に出てくると大なり小なりやるべきことがいくらでもあり、物事を前に進めている感覚というのは大きいです。

仕事がちゃんと進められているかということについてですが、概ね順調と言えると思います。休んでいる間に進んだプロジェクトに関わる事柄などは同僚に頼りがちになりますが、基本的なチーム内での役割は変わっていないと思います。また、これまで労働時間が長すぎたという反省をし、短くするような工夫をしており、それが削るべきところを削っての短時間労働なのかそうでないのかはまだ今後の評価をもらってからの判断ということになります。

長期休暇おすすめ

全弊社員に同制度の活用をおすすめしたいですし、同様の制度が利用できる方はぜひ検討してみて下さい。また、仕事を少しの間隙もなく続けて定年まで過ごすのが当たり前という期待があるような社会の中、それが息苦しい人という人や、別になんとなく思い立った人にとっても、気軽に休んで気軽に復帰できるような社会になったらいいなと思いながら、なんとなく休んだご報告を締めたいと思います。

*1:既に同制度を使った後復帰している同僚がいたり、新入社員研修の先生側として3ヶ月間チームから離れて研修を行う制度が毎年あり、それで抜けるということが常態化しているため、社員にも抜けて戻ってくる人という存在は普通のものとなっている

*2:浪人・留年などもなくきっちり3月卒業4月入学/入社を繰り返してきた

*3:30にもなると、集中力などの脳の機能が学生時代などの20代前半とは違うというふうに気づいてきます。体力もまあ落ちてるとは思いますが、脳の衰えのほうがテクノロジーによる援助を受けづらいと思うので、より危機感が大きいです。

*4:雑談の頻度が激減したのが一因という話は初回の記事で述べましたが、他にも仕事とプライベートの境目が曖昧になり心理的負荷が高まっていたとも思います

*5:当時はデルタ株が流行っていた一方、国産ワクチンのスプートニクがデルタ株に効かない状態。また国民はマスクをせず、国産ワクチンを信用していないためワクチン接種率は低く、ワクチン接種証明が求められれば闇で買うことが横行するなど、日本では驚きのことがまかり通っています。

*6:失効寸前のJALマイルを、なんとなくインド料理屋で頼んで好きだなという理由でチャイセットに交換したら、ハマってしまい、インド食材店で買ったスパイス数種類を砕いて毎日のように作るようになった

*7:ここでは「どうせ死ぬなら危険なアクティビティをやってみる」という場合は除かせて下さい

*8:日本人男性の平均寿命は3万日弱

*9:同制度を利用した同僚の中にはおかわりをして半年続けて休んだ人がいるようですが、自分のときはその選択肢は明らかではありませんでした。自ら申し出たんだろうか?

*10:こう文章にしてみて、OSS: オープンソースソフトウェアに貢献するというのも一つの手かもしれないと思いました。次長期休暇を取るときは考えてみようかな。